環境リスク規制の政治学的比較 その6
~政治的要因 その2 利益~
関西学院大学 法学部 准教授
早川 有紀(はやかわ ゆき)様
【その6】政治的要因 その2 利益
前回、政治的要因のうちのアイディアについてご説明頂いたのですが、読者から質問が寄せられました。
「予防原則というアイディアの有無ではなく、予防原則というアイディアが適用されやすくなる事を規定する制度的条件がより重要である」と締めくくられていますが、「適用されやすくする」とはどういうことなのか、「制度的条件」とはどのようなものなのか、教えて頂けないでしょうか。
ご質問ありがとうございます。
制度といっても色々ありますが、法制度や意思決定に関わるルールを「制度」と呼ぶとします。たとえば個別法の中で、「〇〇の考え方を重視する」ことが書き込まれていたり、意思決定にあたり特定の組織や専門家が大きな影響力を発揮するように規定されていたりするといったことは、予防原則のような特定のアイディアの採用に影響を与えると考えられます。
このため、政策過程のアイディアの採択に影響を与える可能性のある制度に注目することが大切ではないかということです。もちろん、アイディアが果たす役割の大きさを否定する主旨ではありません。
今回は、政治的要因の2つ目の「利益」についてご説明頂きます。
よろしくお願いします。
2. 利益
■アクター
リスク規制に影響を与える政治的要因として、アクターの利益や、利益に基づく戦略が影響したという先行研究があります。
アクターというのは、関係者というような事でしょうか?利害関係者でしょうか?
政治学や行政学で「アクター」というと、政治や政策に関わる個人や組織、グループのことを指します。このため、必ずしも直接的な利害関係があるとは限りません。
日本における2009年の化審法の改正と、EUにおけるREACH規則の立法過程を直接比較分析したものはないのですが、2009年に改正された日本の化審法については、日本の利害関係者が規制制度そのものの改革をする選好を持たなかった事や、環境保護を推進する非国家アクターの組織化が不足していたことが指摘されています。
また、EUでのREACH規則は最終提案に企業側の意見が反映されましたが、最初の提案内容が基本的に守られました。この理由について、企業の経済的利益を保護しようとするグループに比べて、環境保護を支持するグループの活動の強さや継続性が重要な要因であったと先行研究で示されています。
こうした研究では、政策過程で利害関係者が対立した場合に、どのアクターが強い影響力を及ぼすことができたかについて分析することができます。ただ、アクターの選好に影響を与えた要因については十分な関心が向けられていません。
どういうことですか?
アクターの選好(選択対象に対する好み)が既に決まっていて変わらないとされる場合もあるのですが、何かによって形成されたりあるいは途中で変わったりするということもあります。たとえば、環境規制に反対していた企業について、消費者の反応を受けて環境保護活動を行うようになったり、あるいは企業の社会貢献活動が法律で義務付けられたことによって環境保護活動を行ったりすることは、社会や制度の変化によって選好が変化するということです。
そうしたアクターの選好形成に影響を与えた要因については、今までの研究でも十分に分析されていませんし、アクターの選好形成やその後の合意形成は制度(法制度や意思決定のルール)によって影響を受けるため、日本とEUアクターの選好について制度的要因と関連付けて分析を行う必要があります。
■介入主義
ヨーロッパの政府がそもそも介入主義であり、それゆえに厳しい規制を設ける事を好んだのではないかという指摘もあります。
ヨーロッパでは政府が厳格なリスク規制を設ける選好を持ち、それが企業や市民に受け入れられたのではないかという考えです。
確かに、ヨーロッパの政府と企業の関係性は、アメリカと比較して介入主義的と理解されていて、1990年代以降に強化された環境、食品、消費者保護といった規制は、市場に対して積極的に介入する傾向にあるため、こうした理解に即しているといえます。しかし、アメリカは政府が放任主義で自由市場を重視するとされていて、そのようなアメリカが1970~1980年代にヨーロッパに比べて厳格な環境規制や消費者保護規制を取っていたことは、「介入主義」の考え方においては説明できません。
■グローバルスタンダード戦略
その4の経済的な背景のところで、EUは標準化戦略を通じて規制強化を図っているとお伺いしました。
EUでは1992年に調印されたマーストリヒト条約によって単一市場が形成された後に、様々な分野で規制が制定され、これがグローバル・スタンダードとなってきました。世界の標準、つまりグローバルスタンダードの形成をEUが牽引してきたとも言えます。
特に、政策的な正当性を支える規範的なパワーと経済的戦略性の結びつきに着目すると、EUでは2001年に制定された統合製品政策(Integrated Product Policy:以下IPP)の制定と、それに関連する環境規制(ELV指令、RoHS指令、WEEE指令、EuP指令、REACH規制)がわずか6年の間に一気にリニュアルされ、生産・利用・廃棄のすべてのステージで環境に配慮する仕組みが示されました。
これが、化学物質規制における標準化戦略として「EUの戦略性」を示しているとの指摘もありますので、規制と世界標準(グローバルスタンダード)について考えてみたいと思います。
まず「規制力」とは、
ある経済的・社会的・政治的行動主体が、他の行動主体に対し、
相互に認知し、共有し、それに従って行動するルール・要件(標準)に基づいて行動することを誘導ないし強制すること(規制)を担保し実効的なものにする能力の事
と定義されます。
実効的なものにするというのはどういう事でしょうか?
EUは、規制力の実効性を担保する能力として、以下の4つを有していると言われています。
- アジェンダセッティング能力(国際的な関心事項を設定できること)
- 説得力(国際社会に影響力を与えられること)
- 集合的行動能力(国際的な関心事項を設定できること)
- 市場の引力(域外からの資本と商品を引き付けられること)
確かに、EUは国際会議で問題提起をするなど、EUの規制を世界標準にしていくような世論形成というか、引っ張っていく能力に長けていると思います。
ただ、近年のEUにおける規制政策の戦略性について、次のような疑問も残ります。
化学物質規制のRoHS指令と環境配慮設計(エコデザイン)を義務づけるEuP指令は、WEEE指令が途中で分離して生まれましたが、それ以外のELV指令やREACH規制は、そもそもIPPが目指す「製品のライフサイクル」とは異なる文脈から生まれた規制です。
ELV指令やREACH規制はEU加盟国の要望で1990年代前半や1990年代半ばから継続的に議論されてきましたが、IPPが初めてヨーロッパレベルで欧州委員会と利害関係者間とで検討されたのは1998年です。つまり、IPPの検討が始まった時には既にELV指令やREACH規制についての議論は始まっていました。
ですので一連の化学物質規制はIPP の一環として戦略的に生まれてきたのではなく、それぞれの化学物質規制にIPPのコンセプトが後付けされた、とも考えられます。
EU域内企業に対しての利益、域内企業にとって有利・不利という点についてはいかがですか?
REACH規則の中で、高懸念物質(SVHC)の取扱や登録について、EU域外の国に不利な内容が含まれていますので、安全性が明らかではない物質や粗悪品を排除する経済戦略としての側面は含まれているとは言えますが、政策立案が始まった当初からグローバルスタンダード戦略を目的として検討されていたかというと、議論の余地があると考えられます。
また、新たに導入された予防的規制に関してはEU域内企業にとっても必ずしも有利に働く内容ばかりではないことも指摘されています。規則の中には部分的にEU域外企業にとって不利な内容が含まれていますが、WTOの判断も示しているように、規制内容そのものについて非関税障壁の問題はないとされています。
さらに、EU域内は日本同様に中小企業の割合が高く、2000年代初めの段階で中小企業の割合が95%を超えていました。規制の厳格化への対応や、既存の規制と大幅に異なる制度に移行することによって生じる手続きの煩雑化は中小企業にとってコストが高く、経済的利益に見合っているとは言えません。
こうしたEU域内企業への負担が多い規制が成立した理由を、経済的利益に対する政治的戦略としては説明できません。
ここまでお読みいただきありがとうございます。