環境リスク規制の政治学的比較 その4
~経済的要因~
関西学院大学 法学部 准教授
早川 有紀(はやかわ ゆき)様
日本と比較してEUで厳しい環境リスク規制が成立した理由を考えるため、リスク規制に影響を与える要因について検証して行きます。
【その4】経済的要因
リスク規制に影響を与える要因 経済的要因
環境に関する規制でEUの方が厳しい理由について、市場規模が大きいから規制をしても製造メーカーが対応できるとか、EUの戦略であるとか、聞いたことがあります。
そうですね、学術的にも様々な観点が指摘されています。
様々な説明がある理由は、それだけ規制に多様な要因が関わっているからですが、それらが必要条件なのか、そうでないのかも踏まえながら説明していきます。
1. 市場規模
ヨーロッパでは巨大な市場規模を有しているので、厳格な規制が導入できた、という説があります。
というのもEUは経済体としてみると、世界最大の人口と名目上の生産性を有します。EUの市場規模が大きいので、EU域外の企業はEU市場を無視する事が出来ずEUの規制やルールを受け入れるので、EUの規制力が強められる。という構図です。
この説明を聞くと、なるほどと思いますが、
- 経済規模の大きさは規制の厳格化の必要条件なのでしょうか?
- 規制は市場規模が大きいほど強くなるものでしょうか?
必要条件ですか?
必要条件というのは、「ある事柄が成り立つために、必ずなくてはならない条件」という事ですね?
そうです。「成立するために必ずなくてはならない条件」なのかどうかを検証します。
政治経済学の通説的な理解では、市場規模の小さい国の方が規制は厳しいとされています。例えば、西ヨーロッパの小国では、労働や産業政策に厳しい規制が導入されてきました。
一方で、アメリカの様な市場規模の大きな国でも自由経済市場が強い国では、労働や産業政策で穏やかな規制が導入されています。
ですので、市場規模が大きいので厳格な規制が導入できた、という側面はあるのかもしれませんが、アメリカの様な市場規模が大きな国で穏やかな規制が導入されている事が説明できませんので、市場規模の大きさは規制の厳格化の必要条件ではない可能性がある、と言えます。
今回、経済規模とリスク規制の強度について検討するため、比較的多くの国で導入されている新規化学物質届出規制の厳しさと市場規模の関係について、データを集めました。
新規化学物質の届け出制度は先進諸国で広くの導入されているものの、届け出内容や届出方法など、規制の内容には幅があります。
そもそも新規化学物質規制がない国もありますので、地域的な散らばりも配慮して新規化学物質規制がある国と、化学物質規制がない国の数が同じになるように20か国を選定しめました。
■対象国
20か国:
オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、日本、韓国、アメリカ合衆国、スイス、EU、ブラジル、チリ、コロンビア、インド、インドネシア、イスラエル、メキシコ、ノルウェー、ペルー、フィリピン、タイ、ベトナム
(注)ノルウェーはEUに加盟していませんが、EEAに加盟していてEUと同じ規制が適用されるため、規制有の国としてカウントしました。中国は他国と比較して極めて市場規模が大きい値となったため、外れ値として除きました。
■規制の厳しさ
それぞれの国の新規化学物質届出制度の規制の厳しさについて、日本化学物質・安全センター『世界の新規化学物質届出制度』(2007)を参考に、各国の基準が明確であり対応が分かれやすい規制内容として以下の6項目について規定の有無、さらに数量規定の段階に応じて2段階から4段階で評価して(数値が大きい方が厳しい)、規制の厳しさを数値化しました。
- 届け出不要ポリマー規定の有無
- 少量免除規定の有無
- 研究開発免除規定の有無
- 試験販売免除規定の有無
- アーティクル規制の有無
- 既届出物質の後続届出の必要の有無
これらについて主成分分析を行うことで変数を集約する作業をして、説明力の基準を満たす第一主成分を「規制の厳しさ」として意味づけました。
■市場規模
市場規模については、「市場規模=(化学製品出荷額―輸出額+輸入額)/購買力平価を考慮した1人当たりGDP」としました。
(注)購買力平価:一つの物は一つの価格に決まるという原則を前提に、現時点で同じ製品を同じ価格で購入できる各国の物価水準から為替レートを求める考え方。
■結果
上の図が規制の厳しさと市場規模についての散布図です。
プロットを見ると、一直線上に並ぶような関連性は確認できません。
市場規模の小さい国でも比較的規制が厳しい国がありますし、市場が大きくても規制が厳しくない国もある事が確認できますので、規制の厳しさと市場規模の間に相関関係は認められませんでした。
2. 経済成長率
ヨーロッパにおいては、経済成長率が高かったため厳しい規制を成立させることができたという説もあります。
これについても検証のためにアメリカと比較すると、アメリカ経済は1990年代以降高い成長率を保っていましたが、EUの様な厳しい規制は成立していません。
また、ヨーロッパで次々と予防的な規制が導入された2000〜2007年におけるGDPの成長率はEU15か国の平均は2.2%、アメリカは2.6%でした。
従って、経済成長率が高い事は厳しい規制成立の直接的な原因とは考えられません。
3. キャッチアップ
1980年代までのヨーロッパの規制が他の国よりも遅れていたので、そのレベルに追いつくために規制が強化されたのではないかという説もあります。
REACH規制をはじめとする1990年代以降にヨーロッパで導入された規制が世界で最も厳格な規制内容なので、「キャッチアップ」というよりも当時の世界のレベルを追い越してしまっています。
「キャッチアップ」するためにどうして世界で最も厳格な規制を採用したのかについては説明できません。
4. 文化的価値観
ヨーロッパの文化的価値観が規制を強化する事を好んだのではないか、という説もあります。
確かにヨーロッパには歴史的に規制を好む価値観が根付いているかもしれません。
一方でヨーロッパではないアメリカにおいて、1970年代~1980年代にヨーロッパに比べて厳格な規制が導入された理由を説明する事ができません。
5. 経済的な背景
EUでは標準化戦略を通じてEU域内における規制強化を図っているという説もあります。
環境規制はEUに数ある規制の中で、最も厳しい部類に入ります。
この規制力を「経済戦略」として、EUの域内ビジネスに優位に働くように活用しているという指摘もあります。一点目の市場規模の議論ともつながります。
サーキュラーエコノミー(CE)の前身の資源効率性(CE)の頃から、戦略的に制度化を進めていると、以前にインタビューした日本生産性本部の喜多川さんもお話し頂きました。
事務局から補足しますと、例えば化審法など国内法を改正する際にWTO事務局へ内容を通知し、加盟国から意見を受け付けるTBT通報が実施されています
外務省による資料では以下の様に示されています。
<主な義務>
- 相手国によって条件を変えないこと、
- 正当な理由の達成のために必要以上に貿易制限的な措置をとらないこと、
- 関連する国際規格がある場合には、原則としてそれを基礎として使用する
国際規格が一定の理由により効果的又は適当でない場合には、この限りではない
とされています。
標準化戦略については、その6でご説明いただいていますので、ご覧ください。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回は経済的要因についてみて行きました。次回は政治的要因について検討します。