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「REACH」と化学物質管理の潮流(その3)

三井化学株式会社
http://jp.mitsuichem.com/
レスポンシブル・ケア部 主席部員
REACHチームリーダー

荒柴 伸正 様

2007年6月に発効された欧州の化学物質の登録、評価、認可及び制限に関する規則「REACH : Registration, Evaluation, Authorisation and Restriction of Chemicals」は、化学物質の管理基準として国際的にも産業界に大きな影響をおよぼしています。
今回も引き続き、化学物質管理のプロフェッショナルである三井化学株式会社の荒柴様に、「REACH」と化学物質管理についてお話をお聞きしています。

今回は、化学品管理の問題を広い視野からお話しいただいています。

今後の世界的潮流として「REACH」のような規制へと変わっていくというが解ってきました。
その中で、国や審査官などによって、リスクマネジメントの部分の考え方・判断基準の差のようなものがあるように思うのですが・・。

そうですね・・・まず、化学品規制は2つの議論がありまして、一つは科学の専門家の視点から評価されるサイエンティフィックな側面と、もう一つは一般市民の視点から評価されるポリティカルな側面があります。
化学品規制という法律はサイエンティフィックな視点からだけでは決められません。

「市民やNGOがどう思っているか」・・というようなポリティカルな側面が政治的には選挙での集票などにも大きく関わってきますから、最終的に規制はポリティカルに決まっていく側面もあります。
例えばシックハウスなど、適切に取り組めば科学的には問題にはならない曝露であっても、市民やNGOなど世間の風評に対応して規制をかけていかないと、政治家としての集票に支障を来たすという事が考えられます。また、逆の例でいえばタバコへの規制も同様ですね。科学的には明らかに健康への影響が見られるような問題があっても、税金とか、産業とか・・ポリティカルな側面で考えると完全規制が難しいと言うようなものもあります。

「政治的な集票」などというと日本だけのような気がしますが、世界的にもポリティカルな判断というような事があるのですか?

それは一緒ですね。
最近ちょうどデュッセルドルフ日本商工会議所のレポートに投稿したのですが、「REACHの高懸念物質は最終的には認可対象物質に移ってゆくというプロセスについて」具体的にどうなっているか私なりの見解を加えて解説してみました。
このレポートでは「行政側」と「市民団体(NGO)側」のそれぞれの動きに対して、我々のような「事業者側」がどう取り組むべきかを考察しています。

具体的にはどういう事でしょうか?

最近では沈静化してきていますが「環境ホルモン」(内分泌攪乱物質)の規制などがあります。
「携帯電話からの高周波」や「高圧電線の電磁波」の影響とか「シックハウス」とか言われるものなど・・。これらの話題は日本でも非常に盛り上がっていたのを御存じだと思いますが、こういった市民レベルでの盛り上がりは、サイエンティフィックな議論だけでは対応できないのが現実です。

そうですね、当時は「ダイオキシンよりも恐ろしい」とか言われたり、TVや新聞で「環境ホルモン」という言葉を見ない日が無かったように覚えてます。

そのような状況の中、当時、環境省が始めた「SPEED'98」というプログラムがあったのですが、60数物質を環境ホルモン作用の疑いがあるとして優先的に評価をしましたが、実際には人体への影響などが全てについて確認できた訳ではなく、結局はこれらがブラックリスト化したという事実だけが残りました。
その反省から、「SPEED'98」は「ExTEND(エクステンド)2005」というプログラムに移行しました。

「ExTEND 2005」ではブラックリストに入っている化学物質を再評価するのではなく、どうやって、「内分泌攪乱ホルモン」を評価していくべきか、・・・例えば、多摩川に生息する鯉のオスメス比の問題がありましたが、本当の生態中にあるべきオスメス比はどうあるべきかを正確に知らずに、オスがメス化した云々とは評価できない・・・という様な、「生態系をもっと理解しましょうと言う方向に転換されました。

その後「ExTEND 2010」に展開されても同じ方向で、「内分泌攪乱」をどうやって評価していくかという方向の基礎的な研究になってしまって、90年代に大問題となった「内分泌攪乱ホルモン」物質そのものへの問題意識は沈静化してしまいました。
なかでも「環境ホルモン」という言葉は最近聞かれなくなりましたね、最近の大学生はその名前すら知らない人も多いようです。

確かに、最近は「環境ホルモン」という言葉は殆ど聞きません。

確かに日本では沈静化していますが・・・、今、REACHでは問題となってきていて、「環境ホルモン」等を、発がん性・変異原性・生殖毒性と同等レベルの高懸念として規制していくという動向情報も流れています。
現在、2010年12月1日の第1回のRegistration(登録)が終わり、次にAuthorisation(認可)やRestriction(制限)への動きが本格的に見えるようになってきていて、市民も行政も業界もこの問題への対応を始めていると言うのが現状ですね。

日本人は忘れやすいのですかね?

そうですね、化学物質に限らず・・(笑)。
忘れるのでは無いのだと思いますが、次の話題が出てくると、いつの間にか沈静化してしいますね。

国民性のようなものなのでしょうか?

確かに、国民性の違いのようなものはありますね。
ジックリ考察しないと正しい答えにならないのですが、国民性の違いを感じたこととして、リスク管理なのかハザード管理なのかという用語の差異ということがあります。

ハザードとは有害性です。例えばREACHで登録するテクニカルドシエの部分で言うと、「急性毒性が高く僅かな量で問題が起こってしまいますよ」というようなことです。
例えば、猛毒としてご存知の青酸カリも生産され、輸送も保管もされていますが、一般の人の目には触れないくらい微量であっても、キチンと管理されています。そういった管理をするのがハザード管理です。

では、ハザード管理だけでやり切れるか?というと、タバコや排ガスなど低レベルのハザードであっても曝露を長期間続けていると発ガンの危険がありますよね。極端な話で言えば食塩も砂糖も常に取りすぎ状態を続けていれば命にかかわる病気を誘発しますよね(笑)。有害性という視点で捉えると、例えば食塩も砂糖も採りすぎると害を及ぼしますから無害とは言い切れないのに、有害物質として管理されていません(笑)。
このように低レベルで長期間曝露を続けると問題が発生するような物質に対しては、リスクの観点から考えなくてはなりません。

リスクは通常、「ハザード×曝露=リスク」で評価されます。ハザードは有害性の大きさ、つまり、新幹線や航空機事故が起きれば大きなハザード(有害影響)がありますが、実際には曝露(遭遇の機会の確率)が、極めて低いために安心して利用しています。
むしろ自動車事故の方が事故に遭う確率が高く、リスクは高くなります。
つまり、航空機事故の様にハザードが高くても遭遇の機会の確率が少なければ、リスクは低くなります。
ちなみに、全ての事象においてリスクはあります。なぜなら、ゼロリスクはあり得ないからです。あくまでも、リスクを容認できるか、容認できないかの違いなのです。
或いは、リスクが管理されているか、管理されていないかの違いなのです。

リスクとはハザードではなく、望ましくない事象が起きる確率を言います。
リスクとはLow or Highであって、リスクのありなしとか、Yes or Noではないのです。

最近も、「リスクはほとんど無いというのは危険性が無いと受け止めていいのか?」という質問を耳にします。リスクのLow or Highではなく、基準値内だから大丈夫、基準値を超えたから危険、という考え方が一般的なように感じます。

EUでは、リスクとはプロパビリティ(確率)であると理解していますが、一方で私たち日本では得てしてYes or Noとしてしまいがちです。

日本とEUの国民性の違いを例えて、農耕民族と狩猟民族の違いと評することがあります。今回の震災においては、私は、日本人はリスクマネージメントができていると思っていたのですが、一旦起きてしまったときのエマージェンシーマネージメントができていなかったと言えると思います。
震災に遭遇して、欧米の在日企業、化学メーカーはBCP(Bussins Continuity Plan:事業継続のための計画)に基づいて、すぐさま名古屋・大阪などへ避難したと聞いています。
ドイツ大使館などもスグに閉鎖しました。これはまさにリスク管理していたからできたことです。

ところが私たち日本の企業にもBCPらしきものはあるのですが、有効に活かされていませんでした。これは・・リスクマネージメントの観点はできていても、本当に問題が起きてしまったときの肝心のエマージェンシーマネージメントには対応できていなかったといえます。

そうですね、日本人は「想定外」になると弱いですね。

このあたりが、化学品におけるリスク管理への感覚と似ていて、我々の業界も今後は今回の教訓をしっかり意識してアプローチしてゆかなければならないと思っています。

もう一つ、国民性の違いもあると感じています。
化学物質管理でも狩猟民族であるEUの人たちは徹底的に戦うのです。
私たち日本人はお上に逆らわないというか、何か事が起きた場合には「先ずは経産省に訊きに行け」と言われたりします(笑)。
ところがEUの人たちはお伺いを立てたりしませんね。
法を守った上で、さらにみずからの言葉で自らの責任で判断してやって行かなければ、日本でもこれからの化学物質管理は出来ません。お上のAuthorisation(認可)を貰ったから良いというのではなく、自らの戦略を持って臨まなくてはなりません。
そのあたりが狩猟民族との違いなのではないでしょうか・・・・。

狩猟民族は予め戦略を立ておいて、ある日突然獲物に遭遇しても集団で捕獲出来る方法考えています。
一方、農耕民族、特に日本人はしっかり耕して見事な田畑を作る技術はすぐれていますが、種をまいたあとはお天道様まかせなので、そこには戦略を持つ必要がなかったのですね。

化学物質管理の世界でも同様で、EUではリスク管理など、とてもよく配慮されていて戦略的に取り組んでいます。皆で取り組むというのは日本でもヨーロッパでも同じですがやり方が非常に戦略的ですね。もちろんどちらにもリーダーが居るのですが、皆が常に意見して戦略を立てる狩猟民族に対し、日本民族は問題が起きたらまず庄屋さんに相談する農耕民族のような違いがあります。

このあたりが大きな違いだと思います。

狩猟民族と農耕民族ですか・・・。国際化した現在、日本も農耕民族的思考だけでなく、狩猟民族が作ったシステムにも戦略的に挑んでいく必要があると言う事ですね。

ここまでお読みいただきありがとうございます。
この続きは、10月号にてお届けいたします。
次号は、化学物質のリスク管理の仕組みについてお話しをお聞きしています。

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