拡大生産者責任制度について その2
〜能力論と原因論 その1(概要)〜
国立研究開発法人 国立環境研究所
資源循環・廃棄物研究センター
循環型社会システム研究室 室長
田崎 智宏(たさき ともひろ)様
「EPR」という言葉をご存知ですか。
EPRは、Extended Producer Responsibilityの略で、日本語では、「拡大生産者責任」と呼ばれています。
2014年は家電リサイクル法、容器包装リサイクル法、自動車リサイクル法等の見直しの年でもあり、その中で、「拡大生産者責任」という言葉を聞く機会もあったと思います。
今回は、家電リサイクル見直しに関する議論が行われていた中央環境審議会 循環型社会部会 家電リサイクル制度評価検討小委員会の委員でもある、国立環境研究所 資源循環・廃棄物研究センター循環型社会システム研究室 田崎さまに、「拡大生産者責任」についてインタビューをさせていただきました。
【その2】能力論と原因論 その1(概要)
リサイクルしやすいものづくりはメーカーでなければ出来ないし、リサイクルした原料をうまく使って新しい製品をつくるのもメーカーにしかできないことですね。
はい。メーカーにしかできないからいろいろ活躍してもらいましょう。という考え方は基本的には良いのですが、実際には、そのときにかかる費用や、回収などのその他のいろいろなことはどうするの?という検討課題が出てきます。メーカーに任せることとそうでないこと、責任の中身を具体的に考えなければなりません。
一言で責任といっても、色々あるのですね。
そうです。金銭的(経済的)責任、回収したり処理したりする物理的責任、製品の情報開示などの情報的責任等です。
また、責任の根拠についての考え方も、有能論と原因論という2つの考え方に大きく分けることができます。
1つは、「それはメーカーが原因を作っていて悪いんだから」という発想です。「メーカーに費用を出してもらいましょう。なぜかと言えば、メーカーは製品を作って、これを売って儲けているでしょう。省資源の製品であれば発生するごみの量は少なくて済みます。だからメーカーは間接的な排出者、間接な汚染者でしょう。」という原因論的な考え方です。
しかし、メーカーは間接的に廃棄物を排出し、もともとの原因を作りつつそこでお金を稼いでいるという場合でも、100%そのメーカーが受益者であるかというと、そうとも言い切れません。消費者も製品を使うことによって利益を得ていますし、途中の小売りも流通マージンをもらっています。だから受益者だから汚染者(原因者)だという発想でいくと、製品のサプライチェーンに関わるすべての関係者が費用を分担して負担することになります。
もう1つは前回申し上げた「能力」のほうからきていて、「メーカーは処理しやすいものづくりをする能力があるから、それを使って、うまくリサイクルシステムを展開していこう。」という、メーカーの持つ能力に着目した有能論です。
あくまでも実施能力に着目しているので、物理的な責任はメーカーに担ってもらいますが、金銭的な責任についてはメーカーが担うとは限りません。そのため、費用についても平等にみんなが出すとか、税金の有能論のようにお金をたくさん稼いでいる人がその分を負担するといった負担可能な能力に応じるという考え方もでてきます。考え方によっては、メーカーが全部やりなさい、というような発想もあり得ます。いずれせよ、メーカーが処理やリサイクルをやるけれど、費用は他の人に払ってもらうとか、いろいろなバリエーションが出てきます。
どちらの考え方でも拡大生産者責任の根拠として理論的には成り立つんです。
何となく、「責任」というと、全てをやらなければいけないイメージがあります。
本当に、責任という言葉は非常に悩ましくて、誰かが責任を持つと他の人は責任がなくなる、と理解される事が多いのです。
だから「拡大生産者責任」と聞くと、生産者が責任を取るのだから、他の人は責任を取らなくて良いというイメージを持ってしまいがちです。
この「責任」という言葉が役割分担の議論を難しくしてしまっていると思います。
特に法制定の場では、日本語の「責任」という言葉は法的責任(ライアビリティ:Liability)と捉えられることが多くあります。
ある人が行動し行為をします、それが、誰か又は世の中に危害を与えました。ここにしっかりとした因果関係があり、事前に予測できたのに、この人はこんなことをした、だからあなたは責任を取って賠償してください。責任論と言うと、こういうイメージだと思います。
この責任論と、さっき言いました「有能だから役割を担ってもらいましょう。」という「レスポンシビリティ:Responsibility」の責任論は大きく異なる性格を有しています。
確かに、製造者責任法は「Product Liability」、拡大生産者責任の「責任」は「Responsibility」。
「責任」という言葉を違う意味で理解して議論をしても、話がかみ合いませんね。
まさしくかみ合わないまま、同じ「責任」という言葉を使って議論されるので、「生産者さん全部やってください。」という意見も出てくるし、「生産者に能力があるといっても、確かに他のステークホルダーよりはあるかもしれないけれど、できることは限られているのでそこまではできません。」という意見もあり、どうしても意見がかみ合わない事が出てきます。
さらにその組み合わせによっていろいろなバリエーションもどんどん増えてくるので、議論はなかなか収束しないんですね。
責任論の源流としては有能論か原因論かというような大きく2つに分けられると私は思っていますが、これら2つの責任論が混在した議論はかみ合わないことが多いですね。
そもそも、拡大生産者責任とは、責任を生産者に与えること自体を目的とする考え方や、あくまでも拡大生産者責任は手段でリサイクルのシステムをよくするための手法という考え方もあります。政策の考え方ではなく、拡大生産者責任は政策手法だという意見までもあるんです。
こうした認識ギャップを理解しておくことが関連する議論をかみ合わせる上で大切なことと考えられます。
で、私はあくまでも拡大生産者責任は、絶対的な原理原則ではなく、英語で言う「Guiding Principle:方向性を示すような原則」だと思っています。
でも拡大生産者責任を目的として考える人もいますし、政策手法の1つとして捉えている人もやっぱりいらっしゃいます。悩ましいですね。
「拡大生産者責任」という名称も、本当にこれがよいのかっていう疑問も、正直、私の中にあります。これだけ議論を収束させない表現を使う意味はあるのか、他の言葉を使った方が議論が進むのではないのか、という疑問ですね。この名前がなぜ出てきたのか、どのように見直されようとしているのか、国内だけでなく世界の状況を踏まえて、捉えなおすことも必要になってくるでしょう。
リサイクル法に関する議論をする際に、「有能論で考えましょう」とか「原因論でいくべきだ」とか考え方を整理して、議論がされるといいですね。
残念ながら、そういう議論はなされていません。
ただ、もし仮に100%有能論、100%原因論という議論をすることで「100%どちらかである」という制度もつくることはできますが、多分そうはならなくて、両者を組み合わさったものが最終的な制度となると思っています。
さらに、政策的な選択肢となるともっと多様で、それぞれのリサイクルのシステムの中で、一番いいかたちを選択しなくてはいけないのですけれども、一番いいかたちというのが制度で対象とする「モノ」や制度に関わる「人」によって違うので、その組み合わせもいろいろ幅があるわけです。
リサイクル法は、そもそも原因論・有能論としてややこしさがある上に、政策としてどう組み合わせたら一番機能するかという状況的な認識の違いもあります。その2つが絡み合った状態で議論されているので、話がまとまりにくいのだと私は考えています。
日本のリサイクル法を考えたときに、先ほど言われた「原因論」「能力論」の2つのパターンでいうと、どちらの影響が強いですか?
リサイクル法によって異なりますね。
家電リサイクル法は、制定経緯とか改正のときの議論とかはさておき、できた制度だけを見るとかなり能力論に基づいていると思います。他方、容器包装リサイクル法は「原因論」に基づく議論が多いですね。
家電リサイクル法では、メーカーさんは、家電リサイクルプラントにて解体・リサイクルをしていますし、プラントでの解体実習などいろいろな取り組みがされ、それが製品設計にきちんと反映しています。
まさしくメーカーの能力を活かしています。
費用は誰が支払っているかというと、家電リサイクルの場合、基本は消費者が払っています。消費者が費用を負担しているのは、基本的に排出者責任(汚染者負担責任)の考え方が入っているからです。
ただ、厳密に言うと、全てのコストが消費者によって負担されているわけではなくて、一部は生産者が出しているはずです。なぜかというとリサイクル事業を黒字にしちゃいけないというルールがあるんです。
他方、小売業者は直接消費者とやりとりして、使用済みの製品を集めて、メーカーのリサイクルプラントに運んでいます。小売業者のあなた方だったら消費者と直接やりとりする機会が多いので集めやすいでしょう‥ということで小売業者の収集における「能力」を活かしているといえる、そういう制度です。
先ほども、適当なバランスで組み合わされたものが最終的な制度の落とし所となるという事を申し上げましたが、家電リサイクル法は拡大生産者責任と汚染者負担責任の両方が導入されている、という制度設計だといえます。
わりと合理的なんですね。
家電リサイクル法はこの点は合理的です。
で、合理的でないのは、家電リサイクル法の対象をあくまでも集まってきた物だけにして、それ以外の物に対しては新たな法律の網を掛けなかったところです。
結果として、使用済みの家電をもっと集めて適正なリサイクルを行うルートに回そうということが積極的に行われず、不適正な処理などにつながりうる無料回収などが行われてしまっています。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回は、拡大生産者責任(EPR)に対する認識について国際調査アンケートの結果などについてお話しをお伺いしています。