バトンタッチ
産休中の上田よりエコジャーナルの編集という大任を仰せつかりました、同じ部署の狩野と申します。
いつもアクティブな彼女の代役が務まるかどうか、甚だ不安ではありますが、粗相のないよう努めますので、皆さまどうぞよろしくお願いします。
さて、今回はコラムのスペースをお借りし、皆さまにご挨拶を兼ねて自己紹介をさせていただきます。
私、2008年入社、ようやく5年目を迎えた38歳です。
会社に中途で拾われる前、いろいろと紆余曲折があり、大学や国の研究所で廃棄物や土壌関係の研究をしていました。
大学院卒業後、国の研究所で3年、大学で2年半の期限付きで研究をしていました。
これまで3年以上、同じ場所で働いたことがなかったわけで、今の仕事は人生で最長記録を更新中!なのであります。
もともと、研究者を志した時期がありました。
きっかけは子供の頃にテレビでみた研究者の紹介でした。
当時、中国の三峡ダムの開発で周辺の環境や生態系が大きく損なわれる懸念があり、ある研究者がいろいろ調査をし、社会に訴える、というような内容でした。
1980年代後半、世間の目がようやく環境問題に向かいはじめた頃でした。自分もこんなふうに環境の分野で社会の役に立ちたいなぁと、漠然と思ったものです。
性格的に、ひとつの事象を突きつめて考えることが好きだったのもあります。
大学のサークルではボウリング部に所属していたのですが、勧誘のビラに「遊ぶか、極めるか」とあり、「極める」に惹かれたクチです。
その後、念願かなって(というか、単に就職口がなかったという説もありますが)
大学院でドクターをとり、国の研究所に入り、また大学に戻り、その都度、自然エネルギー→廃棄物→土壌汚染とネタを変えながら研究をしてこれたわけですが、総じて環境に関係することができたのは、頭のなかのアンテナがそっち方向に向いていたからかもしれません。
そういえば、今の部署名は「環境ソリューション室」。「環境」という言葉には浅からぬ因縁を感じます。
ちなみにボウリングは今も現役で、七つ道具を引っさげ、娘たちと投げてます。
生涯現役を目指しています。
そんなこんなで、今後しばらくの間、どうぞよろしくお願い申し上げます。
この記事は
DOWAエコシステム ジオテック事業部
狩野 が担当しました