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藤田観光とDOWA

藤田観光とDOWA

「椿山荘」をはじめ、ホテル、結婚式、レジャーで有名な「藤田観光」と「DOWA」は同じ創業者にその源を発します。

藤田観光HPへ:http://www.fujita-kanko.co.jp/


旧藤田財閥の創立者・藤田伝三郎にその歴史はじまります。
藤田は有能な経営者を多数育て、今日の多くの名門企業の前身を築くとともに、児島湾の干拓事業など国土創成計画を引き受けるなど、政商という世間の評を超えたスケールの大きさ持った人物と評されています。
藤田は長州・萩で生まれ。維新の動乱期に、高杉晋作に師事して奇兵隊に投じ、木戸孝允、山田顕義、井上馨、山縣有朋らと交遊関係を結びます。この人脈がのちに藤田が政商として活躍する素因となりました。

明治期に入り、藤田は長州藩が払い下げした大砲、砲弾などの搬送や、軍靴製造の店舗の経営など大阪を拠点に事業を展開する「藤田組」を発足させ、その後も土木事業、鉱山経営、銀行経営、化学事業、紡績事業などを手掛け、藤田財閥を形成していきます。

「藤田組」の中核となったのが秋田県の小坂鉱山の経営でした。1884年、明治政府から払い下げを受け、「藤田鉱業」として銀の生産で実績を築き、やがて鉛、銅の生産で日本有数の鉱山に成長させました。これが後の同和鉱業で、2006年に持株会社に移行したのが「DOWAホールディングス」です。

一方、1955年「藤田鉱業」の観光部門が独立し、藤田財閥の所有する広大な敷地・建物を運用する観光事業としてスタートしたのが「藤田観光」です。
藤田観光が経営する結婚式場「椿山荘」(東京)は山縣有朋の私邸を、藤田組の二代目当主・藤田平太郎が名園をありのまま残したいという山縣有朋の意志を受け継ぎ、藤田家の邸宅や別荘として譲り受けたもので、戦後、結婚式などで使用される「椿山荘」として開業、その他、伝三郎の大阪本邸は「太閤園」、箱根別邸は「箱根小涌園」、京都別邸は「ホテルフジタ京都(2011年1月末をもって営業終了)」に衣替えし営業しています。


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